変更できるSNSはサクっと変え、HPなど残りはこれから少しずつ取りかかります。
自分の写真を撮ってもらう。
わたしもポートレート撮影をしたり、終活イベントにて遺影写真撮影会というのも行いましたが、今回は撮られる側の気持ちを特にたくさん感じ、新たな発見もありました。
わたしがレッスンでお教えする時も、コンサルをしている時もその方の魅力を見つけるのが楽しくて、
千凛の場合、引き出すというより生徒さんの魅力を“見つけちゃったわ♪”とか “ですよね~(ここに眠っていたのね♪)”という感じなのですが
写真を撮られる側にいたら
「あ~見つけてもらってるわ~」と妙に五感を刺激して頂きました。
カメラマンさんは女性。
特によくありがちな
「おっいいね、かわいい!」
「サイコーだよ!」
などという声かけはないのです。
言葉ではなく“心”でした。
もちろん、撮影を進める上での言葉はありますが、わざとらしさはひとつもなくて、心地よさを感じられる時間であったことはたしかです。
これというのは、自分は見たい世界を見ているので、わたし自身がそういう人ということになるのですよね。
ん???
と思いましたかしら。
具体的には、自分が抱いている感情というのを、人に対しても感じるのです。
例えば、カフェで隣にいる女性同士が笑っているのを見て
「私、なんかおかしいかな。笑われているのかな。」と感じるなら、自分が“人から笑われる”という心の根があるのです。
かと思えば「スマホを見ているから嬉しいメッセージでもきたのかしら」と感じる人もいます。
同じ《カフェで女性同士が笑っている》光景でも、人が感じる感情は、その人が心の根に持っているものとなります。
後者は、実際わたしが先日カフェで感じた事でした。
よくLINEメッセージで嬉しいご報告があるとニヤニヤしているようなのですが
(しばしば主人に指摘される(笑))
そういう自分の背景・感情・心の根の何かしらがあるから、見知らぬ人の笑顔(スマホを見ていた)を見た時、そう感じたのですよね。
話は戻ります。
先日のカメラマンさんの、言葉ではなく心を感じた時、
そんな心の根がわたしにあるんだ~って気づき、恥ずかしくも嬉しくなりました。
そして良かった・・・と思いました。
言葉は当然、大事です。
だけど心って言葉数が少なくても表情や仕草、目つき、そして言葉の節々や語尾から、出るんですよね。
語彙力はないよりあった方が良いですが、まず心。
心と言葉が一致しないことが続くと、結果としてご自身を苦しめることになってしまいます。
心には余白があることが大切で、これは写真でも同じなのですよね。
余白がないと、その窮屈さに疲れてしまい狭いゆえまわりが見えなくなるのです。
余白のありがたさ。
余白を持とう
余裕を作って維持しよう
わたしも改めて感じました。
今日から、10日間北陸へ移動します。
お近くの方は。対面レッスンが可能ですのでお声がけくださいませ。